研究内容

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固体物質を主な対象とした核磁気共鳴(Nuclear Magnetic Resonance, NMR)の新規な分析法の開発と無機材料科学及び固体物性科学への応用研究を行っています。それらを開発系、応用系に分類し以下で概説します。尚、一般向けのNMRの説明もご参照ください。
開発系

NMR可能な核種は2つに大別できます。1つは1H, 13Cなど核スピンI = 1/2の双極子核であり、もう1つは17O, 27Alをはじめとする無機物の主要構成元素であるI ≧ 1の四極子核です。これまでの約45年の固体高分解能NMRの発展は主に前者に対するものでした。我々は後者のNMRを高感度・高分解能で測定するための新規な測定手法やスペクトルを解析するためのソフトウェアの開発を行っています。

応用系

固体NMRは非破壊で物質の局所的な構造を調べる分光法です。解析可能なのは静的のみならず動的な構造であり、また結晶性のみならず非晶性の構造です。このような分光法の特性を生かし、固体NMR分析を無機材料科学や固体物性科学へ応用しています。


常磁性固体における重水素NMRの新規な測定法の開発

固体物質の重水素(2H, I = 1)NMRは分子の静的構造だけでなく、 秒〜ナノ秒程度のタイムスケールの分子運動を調べられる貴重な手法です。 2H NMRは測定対象が反磁性か常磁性であるかにより大別でき、 これまでの研究の大部分はポリマーやゼオライト等を対象とする前者でした。 後者は多孔性金属錯体等の興味ある系があるにもかかわらず、それらを対象にした2H NMRの研究例は稀です。

常磁性体の2H NMRでは、核スピン相互作用として通常の核四極相互作用に加え、 核と不対電子の電子スピンとの磁気的相互作用(常磁性シフト相互作用)が大きく寄与します。 そのため常磁性体のNMRには反磁性体で用いる測定法や解析法が通用しません。 基本的な常磁性体用のスペクトル測定法は30年以上前に開発されてはいますが、 得られたスペクトルの解析が一般に困難(場合によっては不可能)であるという問題がありました。 そこで本研究では常磁性固体において、容易に解析可能な2H NMRスペクトルを取得するための測定法を開発しました。 高強度のラジオ波を照射することにより、反磁性体の場合と同様にスペクトルの線形を解析できることが示されました(Fig. 1)。 本手法以外にも、常磁性固体の高感度測定法等も開発しました。


Fig. 1: 重水素APIQE NMR法による 常磁性固体のスペクトル (J. Magn. Reson. 251, 57 (2015)).

揺動磁場下の高分解能NMR法の開発

NMRでは平衡磁化や化学シフトの大きさが印加磁場に比例するため、 印加磁場が大きいほど高感度・高分解能なスペクトルが得られます。 NMR用の強磁場磁石としては、超伝導磁石、水冷銅磁石、ハイブリッド磁石、パルス磁石があります。 このうち、磁場の安定度が高い超伝導磁石が高分解能NMR用磁石としてほとんどの場合に用いられていますが、 磁場強度はせいぜい22-23 Tです。一方、パルス磁石では58 Tまでの磁場でNMR測定が行われています。 しかし、磁場の持続時間はミリ秒のオーダーと極めて短く、さらに磁場の均一度・安定度も著しく悪いため、 現状ではパルス磁石での高分解能NMR測定は困難です。そのため、 〜45 Tの強磁場を比較的良好な均一度で発生でき、 且つ磁場が1時間以上持続する水冷銅磁石やハイブリッド磁石が高分解能NMR用の強磁場磁石の有力候補です。 しかしながら水冷銅磁石やハイブリッド磁石も磁場が安定していないため、 通常の測定では高分解能なNMRスペクトルを得ることはできません。 本研究では、揺動磁場下で高分解能NMRの測定を可能とするための二つの異なる方法を提案し、実証しました。 これらは通常のNMR測定に加え (1)プローブの周りに巻いたピック・アップコイルに発生する誘導起電力の信号(Fig. 2)または (2)参照用NMRの信号、を同期測定し磁場揺動成分を補正するものです。 開発した二つの方法を適切に使い分けることにより、溶液から固体まで様々な試料について ハイブリッド磁石で高分解能NMRを測定することが可能になりました。


Fig. 2: 磁場揺動補正法の概要図 (J. Magn. Reson. 184, 258 (2007)).

固体NMRの解析ソフトウェアの開発

化学シフト等の核スピン相互作用はテンソル量であり、その中に分子の局所的な静的・動的構造や電子の構造に関する重要な情報が含まれています。 溶液状態では一般に分子の速い等方的な運動によりテンソルは平均化されていますが、 運動の束縛されている固体状態のNMRでは相互作用をテンソル量として抽出することが可能です。しかしこのことは同時に、 固体NMRの測定や解析が複雑になることも意味します。特に四極子核の固体NMRにおいては、 高分解能スペクトルを得るためにマジック角回転(Magic Angle Spinning, MAS)の技法を適用しても溶液NMRのようなシャープなピークは観測されず、 不均一に広がったスペクトルになることが多いため、スペクトルからNMRパラメータを得るには線形解析を行うことが必要になります。 そこで本研究では、多準位系において核スピンのダイナミクスを高精度にシミュレーションするソフトウェアVSNの開発を行いました(Fig. 3)。 プログラムの設定を変えることにより、MASや多重パルス、分子運動の効果について、 中央遷移(|1/2>⇔-|1/2>)やサテライト遷移(±|3/2>⇔±|1/2>等)、多量子コヒーレンス(|3/2>⇔-|3/2>等) に対する状態の計算を可能としました。さらに一、二次元Fourier変換やshearing変換等のデータプロセスを行う機能も付加しています。


Fig. 3: 解析ソフトVSNのスクリーンショット.

強磁場固体NMR及び量子化学計算による無機物の構造解析

近年のNMR用超電導磁石の発達により、強磁場固体高分解能NMRの測定が可能になってきています。特に半整数スピンの四極子核では、 強磁場化により核四極相互作用の二次のシフトが小さくなるためスペクトルの高分解能化が起こり、平衡磁化の増大による感度向上とあいまって、 これまで困難とされていた核種を用いたNMR構造解析が行えるようになっています。遷移金属のモリブデン(95Mo, I = 5/2)もその一つです。

モリブデンポリ酸等を光縮重して合成された巨大ポリ酸が興味深い物性を示すとして近年興味が持たれています。 金属は混合原子価状態にあり、光注入された還元電子が構造や物性に大きく関係していると思われます。 我々は固体95Mo NMRと量子化学計算を用いてd電子の局在性の解明を目指して研究を進めています(Fig. 4)。

また、分子ふるいや触媒として知られるポーラス・アルミナやリン酸アルミニウムといった無機材料を研究対象とし、 27Al MQMAS NMRや27Al-31Pの相関NMRの測定を強磁場磁石を用いて行い、 ポーラス・アルミナの酸化物二重層のアモルファス構造、また、 リン酸アルミニウムにおけるAl-O-Alの結合角の不均一な分布を明らかにしました。


Fig. 4: {Mo12(La)}の95Mo NMR, 分子構造, 及びHOMO (J. Phys. Chem. A 118, 2431, (2014)).

固体高分解能NMRによる半導体の間接核スピン結合の研究

ある種の計算を古典的計算機に比べて格段に速く行う計算機として量子計算機が注目されており、 世界中で量子計算機実現に向けた研究がソフト・ハードの両面で進められています。有意な計算を行うには少なくとも数百量子ビットが必要ですが、 現在はまだ7量子ビットしか達成されていません。多量子ビット化には周期性を活かす事のできる固体物質を用いることが有効であると考えられ、 実際に近年、半導体を固体NMR量子計算機のデバイス材料として利用する提案が幾つかされています。 それらの幾つかは2量子ビットの演算に間接核スピン結合(J結合)を用いますが、 半導体のJ結合については不明な点が多くどのような物質が量子計算機に適しているかは分かっていません。 本研究ではIII-V化合物半導体であるInX (X = P, As, Sb)の固体高分解能NMRを測定し、J結合の値を見積もりました。 最近接のIn-X間のJ結合の値は、InXのバンド構造と相関があり、大きなJ値を得るにはnarrow gapの半導体が適していると分かりました(Fig. 5)。 また、キャリヤ濃度の大きなn型、p型半導体試料では大きな電子−核相互作用によるスペクトルの広がりのためJ結合は観測されないことが分かりました。 これは、NMR量子計算機のデバイス材料とする半導体には不純物濃度の小さな半導体を用いることが必要であることを示しています。


Fig. 5: InX (X = P, As, Sb)における間接核スピン結合の既約定数のバンドギャップ依存性 (Jpn. J. Appl. Phys. 45, 651 (2006)).

固体NMRによる[M(H2O)6]AB6]型結晶の分子運動及び構造相転移の研究

固体物質のマクロな性質の多くは物質内部の局所構造と密接に関係しているため、 物性のメカニズムを明らかにするためには、分子やイオンの配向やパッキング及び運動などの解析が重要となります。 固体NMRは、このような分子やイオンの運動や局所構造に関する情報を得るための有力な手法です。 本研究では、一般式[M(H2O)6]AB6] (M = Mg2+, Mn2+, Fe2+, Co2+, Ni2+, Cu2+; AB6 = PtCl6, SiF6)で表される一連の結晶について固体NMRによる物性研究を行いました。 これらの結晶は中心金属の違いによって性質が大きく異なります。 M = Ni2+以外の[M(H2O)6][SiF6]結晶は [M(H2O)6]2+イオンや[SiF6]2- イオンのorder-disorder型構造相転移を起こします。2H NMRスペクトルを測定し、 得られたスペクトルに対してシミュレーション解析(Fig. 6)を行った結果、 order-disorder相転移は[M(H2O)6]2+ イオンの運動の凍結によるものであると分かりました。 [Cu(H2O)6][PtCl6]結晶は協同的Jahn-Teller 効果による構造相転移を起こします。この相転移点は重水素化により低温シフトしますが、 これは重水素化に伴う質量効果ではなく、O-H…Clの水素結合の弱まりによるものであることが分かりました。


Fig. 6: 変調構造と分子運動が併存する場合の2H NMRの解析モデル(Chem. Phys. Lett. 380, 736 (2003)).